2016年6月4日土曜日

186:平和とは何か

数日前、米国留学帰りと昔の教え子5、6人との会話のなかで、「平和」の定義についての話題になった。
PCで検索するなどして「平和」の定義を参照することもあったが、これは、というものは見つからなかった。
学問的に、一般通念的に妥当であるかはわからないが、ここで、私なりに長年考えてきた平和の定義について披露をしてみたい。



「平和」とは、あらゆる種類の紛争や対立が、ひとびとの生命や財産に対する脅威なくマネージされている状態だと私は考える。
人間や人間社会から憎悪や悪意がなくなることはないだろう。
これは人間の性であり、これを前提にした上で、どのように殺戮を回避するのか、ということを考えなくてはならない。

例えば、これは以前にも書いたことがあるかもしれないが、ある人はBuisinessを、「平和時における戦争の状態(peace-time form of war)」と見事に定義していた。
ビジネスの世界ですら、当然人間同士の競争はあるのである。


オバマ大統領が広島を訪問し、平和に対する論議がなされるときに、わたしが上に挙げた定義がすこしでも役にたてばうれしい。


余談めいてしまうが、私は以前の号で、原爆使用についての謝罪をアメリカに求めてはいけない、と書いたが、実際には日本側からそのような発言はどこにもみられなかった。
このことは、日本人の、黒白とけじめをつけずにグレーなエリアの存在を認めることにより、問題の解決を図るという智恵が発揮された良い例なのではないかと思う。

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