2016年8月20日土曜日

206:リオのオリンピック

日本人が大いに活躍しているリオのオリンピックの表彰式で、金メダル受賞時に流れる国歌のテンポが、とても遅いことに今回気づかれた方が多くいるだろう。
実際、体操で大活躍した野村選手も、「団体の金メダル表彰式で君が代をチームみんなで歌おうとしたが、思った以上にテンポが遅くて大変だった」とうれしそうにインタビューで述べていたように記憶している。
どのような背景で遅いテンポになったのかは知る由はないが、私はこれをポジティヴにとらえた。


なぜか。
オリンピックには今回200か国以上が出場しているが、私の聞く限り、その中でも日本の「君が代」は、他の国のような西洋的なマーチ風の曲ではなく、特異な印象を与えられるものである。
私はこのような日本的で特異な国歌を、良いものだと今回のオリンピックで感じた。


そんななかでオリンピックを見たり、国歌を聞いたりしながら考えるのは、日本人であることの誇りとは何なのだろう、ということだ。
現在、日本人であることの誇り、ということは、非常にあやふやでわかりづらいものになってきているのではないだろうか。


もちろん、こういったことに簡単な答えはないだろう。
しかし、近代史のなかで、非西洋国家として真っ先に近代工業国家を建設したこと。
また、戦争という事態を引き起こし敗戦を迎え、その後奇跡的と言われる国の再建を行ったということ。
こういった日本独自の大きな歴史を忘れてしまい、日本人が誇れるものが「おもてなし」や「マンガ」といったものになってしまっては仕方がないのではなかろうか。

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