2016年8月6日土曜日

202:日本にとっての8月とは

米国人のある友人が、原子爆弾開発に関する実験の記録をみせてくれたことがある。
日時、場所、目的、備考に簡単な記録が入った分厚いリストであったが、これをみて私は愕然とした。
日本時間8月6日の原爆投下は、原子爆弾の実験計画では2番目であり、初回の実験は、1945年の7月、ニューメキシコで行われていた。
また、広島の欄の備考には、‟Combat”(戦闘)とあった。
第三回目が8月9日の長崎であり、これも同様に‟Combat”という記述があった。

戦争状態にあったとはいえ、あくまでひとつの「実験」というかたちで広島、長崎に原爆が投下されたことは、歴史上の事実として認識しておく必要があるだろう。
もちろん、だからといってここで歴史認識に類する議論をしたいわけではないし、そのようにとらえることは建設的でない。

ともあれ、このような状況で1945年の8月に日本は突入したのである。
6日の広島、9日の長崎、ソ連による満州侵攻。
そして15日が敗戦、昭和天皇による玉音放送。
30日の、連合軍総司令官マッカーサーの厚木到着。
余談となるが、彼はその足で厚木から横浜まで親衛隊数十名を引き連れ、横浜のニューグランドホテルに初期の総司令部を置いたと聞いている。

このような1945年の8月という月における歴史的経緯を踏まえて今日の日本がある。
ふたたび8月を迎えて思うのは、第二次世界大戦で犠牲になった方々の冥福を祈らずにはいられない、ということだ。

個人的なことで恐縮だが、私のおばも、ふたりの小さい女の子を連れて満州から4か月かけて朝鮮半島を通り、日本に戻った。
帰国の途中で、彼女は数多くの大変な思いをしたようだが、そのことについて多くは語らなかった。
そのおばも今年104歳で天寿を全うした。

戦争の悲惨さを語るときに、これまでの事実を踏まえた上で、将来どのような社会を作っていくのか、という発想なしにただ悲惨さだけを語るだけではいけないだろう。
みなさんはどのように思われるだろうか。

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