どの国でも、収入や財産に対して一定の税金を課する、ということになっている。
つい最近私も、親から相続した不動産に対して、「固定資産税 都市計画税 納税通知書 在中」と書かれた封筒が送られてきた。
これまでは納税ということについて、それほど強く意識することなく都民の義務としてこれに従ってきた。
しかし、今回の報道での都知事の発言をみていて、はじめて都に対して税を納めるということに心理的な抵抗をおぼえた。
あれだけのひどい行動、発言を行った都知事が公人として責任を感じ、辞任をするのであれば、当然納税する。
退任しなければ、正直に言ってしまえば納税はしたくはない。
もちろん納税をしたくはない、などと言っても仕方のないことではあるが、一方で例えば、知事が辞任するまで税金を供託するという方法があるかもしれない。
知事が辞めるまで供託するということが、都民のせめてもの抵抗として考えられないか。
もちろんこれは非現実的で、技術的に不可能な、突拍子もない発想かもしれないけれども、これを国家レベルで行うと、どうなるのだろうか。
革命にでもなるのだろうか。
良識のない政治家の存在を知りながら税金をただ納める、というのも、なかなか遣り切れない話ではないか。
2016年6月8日水曜日
2016年6月4日土曜日
186:平和とは何か
数日前、米国留学帰りと昔の教え子5、6人との会話のなかで、「平和」の定義についての話題になった。
PCで検索するなどして「平和」の定義を参照することもあったが、これは、というものは見つからなかった。
学問的に、一般通念的に妥当であるかはわからないが、ここで、私なりに長年考えてきた平和の定義について披露をしてみたい。
「平和」とは、あらゆる種類の紛争や対立が、ひとびとの生命や財産に対する脅威なくマネージされている状態だと私は考える。
人間や人間社会から憎悪や悪意がなくなることはないだろう。
これは人間の性であり、これを前提にした上で、どのように殺戮を回避するのか、ということを考えなくてはならない。
例えば、これは以前にも書いたことがあるかもしれないが、ある人はBuisinessを、「平和時における戦争の状態(peace-time form of war)」と見事に定義していた。
ビジネスの世界ですら、当然人間同士の競争はあるのである。
オバマ大統領が広島を訪問し、平和に対する論議がなされるときに、わたしが上に挙げた定義がすこしでも役にたてばうれしい。
余談めいてしまうが、私は以前の号で、原爆使用についての謝罪をアメリカに求めてはいけない、と書いたが、実際には日本側からそのような発言はどこにもみられなかった。
このことは、日本人の、黒白とけじめをつけずにグレーなエリアの存在を認めることにより、問題の解決を図るという智恵が発揮された良い例なのではないかと思う。
PCで検索するなどして「平和」の定義を参照することもあったが、これは、というものは見つからなかった。
学問的に、一般通念的に妥当であるかはわからないが、ここで、私なりに長年考えてきた平和の定義について披露をしてみたい。
「平和」とは、あらゆる種類の紛争や対立が、ひとびとの生命や財産に対する脅威なくマネージされている状態だと私は考える。
人間や人間社会から憎悪や悪意がなくなることはないだろう。
これは人間の性であり、これを前提にした上で、どのように殺戮を回避するのか、ということを考えなくてはならない。
例えば、これは以前にも書いたことがあるかもしれないが、ある人はBuisinessを、「平和時における戦争の状態(peace-time form of war)」と見事に定義していた。
ビジネスの世界ですら、当然人間同士の競争はあるのである。
オバマ大統領が広島を訪問し、平和に対する論議がなされるときに、わたしが上に挙げた定義がすこしでも役にたてばうれしい。
余談めいてしまうが、私は以前の号で、原爆使用についての謝罪をアメリカに求めてはいけない、と書いたが、実際には日本側からそのような発言はどこにもみられなかった。
このことは、日本人の、黒白とけじめをつけずにグレーなエリアの存在を認めることにより、問題の解決を図るという智恵が発揮された良い例なのではないかと思う。
2016年5月28日土曜日
185:恥ずかしいということ
読売ジャイアンツの野球賭博に関する取材への反応の多くは、「これは恥ずかしいことだ」とするものが多かったように思う。
世界社会に対して日本の恥ずかしいところに国民が目を向け、問題視する必要があるとおもう。
例えば、国際社会で恥ずかしいことのひとつとして、TPP交渉の日本側担当大臣の言行を挙げざるを得ない。
私の米国人の友人には、実にばかばかしいことだ、という発言も飛び出した。
あのような品性を持つひとを、日本を代表する交渉相手としていたことになんともいえない複雑な心境を持つ。
国の経営を預かる国会議員の諸先生は、国民の模範とするべき立場にあるという認識をぜひ持って頂きたい。
国民の政治離れや不信感の原因のひとつに、政治にかかわる先生方へのリスペクトが薄まっていることもあるのではないだろうか。
世界社会に対して日本の恥ずかしいところに国民が目を向け、問題視する必要があるとおもう。
例えば、国際社会で恥ずかしいことのひとつとして、TPP交渉の日本側担当大臣の言行を挙げざるを得ない。
私の米国人の友人には、実にばかばかしいことだ、という発言も飛び出した。
あのような品性を持つひとを、日本を代表する交渉相手としていたことになんともいえない複雑な心境を持つ。
国の経営を預かる国会議員の諸先生は、国民の模範とするべき立場にあるという認識をぜひ持って頂きたい。
国民の政治離れや不信感の原因のひとつに、政治にかかわる先生方へのリスペクトが薄まっていることもあるのではないだろうか。
2016年5月25日水曜日
184:思考資源の開発 その1
178号でも触れたが、日本の優秀な頭脳集団を効率的に機能させるためには、現状を打破する何らかの試みが必要と思われる。
私は2010年に、有志とともに「思考資源開発機構」なるものの設立を試みたことがある。
現在においてもその必要性を感じる。
組織が行う意思決定の生産性を高めることが企業競争力の強化に欠かせない側面であることに異論はないだろう。
生産性を高めることは、組織が行う意思決定業務に共通の思考様式を導入することである。
音楽を例にとれば、洋楽には5線譜という約束事がある。
そのため演奏者は楽譜があることにより、合奏が可能となる。
これは共通の約束事を、各員が理解しているためである。
これに引き換え、日本の組織においては、「楽譜」に相当する共通のルールが存在しない。
そのため、「合奏」する場面で混乱が起きるのである。
さて、みなさんにもこの領域に対して関心をもってもらうために、例によってクイズを差し上げることにしたい。
ある組織において、統括部長は管理職会議の方法を改善しなければならないと感じている。というのは、現状は会議にまとまりがなく、とりわけ口数の多いメンバーが支配しがちで、実質的に何も成果が得られないまま多くの時間を費やしている状態である。
このような状況において、取り組むべき課題を明らかにしていく上で最も論理的な手順を表しているものを選びなさい。
①優先度を設定する。
②問題・関心事・課題を挙げる。
③どのように結論を出すかを決める。
④状況分析の範囲を限定する。
⑤全体像を見直す。
⑥複雑な問題を分析できるレベルまで細分化する。
(A)①→③→⑤→④→②→⑥
(B)④→②→⑥→①→③→⑤
(C)④→③→⑥→②→①→⑤
(D)⑤→⑥→②→③→①→④
ここで、議論が噛み合わないということは、ある参加者は(A)の手順で発想し、その上司が(C)に固執するような場合のことだ。
これではものごとを議論する前提自体で混乱が起こってしまうことになるだろう。
そこで解答を示すなら、(A)~(D)でムダの少ない効率的な議論の手順は(B)である。
状況分析の範囲を決める→その範疇に存在する問題を列挙する→複雑な問題を、処理しやすい部分に分解する→複数化された問題に優先順位をつける→どのように結論を出すのか決める→全体像を見直す
以上でお分かりのように、結論が求められる会議等においては、集中討議ができるように、結論に至る段取りの理解を共有することが重要である。
私は2010年に、有志とともに「思考資源開発機構」なるものの設立を試みたことがある。
現在においてもその必要性を感じる。
組織が行う意思決定の生産性を高めることが企業競争力の強化に欠かせない側面であることに異論はないだろう。
生産性を高めることは、組織が行う意思決定業務に共通の思考様式を導入することである。
音楽を例にとれば、洋楽には5線譜という約束事がある。
そのため演奏者は楽譜があることにより、合奏が可能となる。
これは共通の約束事を、各員が理解しているためである。
これに引き換え、日本の組織においては、「楽譜」に相当する共通のルールが存在しない。
そのため、「合奏」する場面で混乱が起きるのである。
さて、みなさんにもこの領域に対して関心をもってもらうために、例によってクイズを差し上げることにしたい。
ある組織において、統括部長は管理職会議の方法を改善しなければならないと感じている。というのは、現状は会議にまとまりがなく、とりわけ口数の多いメンバーが支配しがちで、実質的に何も成果が得られないまま多くの時間を費やしている状態である。
このような状況において、取り組むべき課題を明らかにしていく上で最も論理的な手順を表しているものを選びなさい。
①優先度を設定する。
②問題・関心事・課題を挙げる。
③どのように結論を出すかを決める。
④状況分析の範囲を限定する。
⑤全体像を見直す。
⑥複雑な問題を分析できるレベルまで細分化する。
(A)①→③→⑤→④→②→⑥
(B)④→②→⑥→①→③→⑤
(C)④→③→⑥→②→①→⑤
(D)⑤→⑥→②→③→①→④
ここで、議論が噛み合わないということは、ある参加者は(A)の手順で発想し、その上司が(C)に固執するような場合のことだ。
これではものごとを議論する前提自体で混乱が起こってしまうことになるだろう。
そこで解答を示すなら、(A)~(D)でムダの少ない効率的な議論の手順は(B)である。
状況分析の範囲を決める→その範疇に存在する問題を列挙する→複雑な問題を、処理しやすい部分に分解する→複数化された問題に優先順位をつける→どのように結論を出すのか決める→全体像を見直す
以上でお分かりのように、結論が求められる会議等においては、集中討議ができるように、結論に至る段取りの理解を共有することが重要である。
2016年5月21日土曜日
183:現役米大統領の広島訪問 その2
オバマ大統領の広島訪問は、日本がアメリカに「一本とられた」という感じすらするのである。
米国の一部市民の強い民意に逆らってまで行われるこの訪問は、歴史に残るものであると私は断言する。
そこで、米国と対等になるためには世界社会に向け、平和国家としての決意を表明する必要があると我が国のトップは認識しなければならない。
それは唯一の被爆国としての、世界に向けたメッセージであり、かつ、国際社会における日本国の向かうべき方向を示すものでもあってほしい。
これは日本外交が、日本のあり方を世界に示す上での大きなチャンスでもあるのだ。
現実的な平和の維持に日本がどのような貢献ができるかについて、国民的な議論を起こす良いきっかけになるのではないか。
平和、ということについて言えば、自民党の平成24年の憲法改定論では、9条の前半は以下のようになっている。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。ここでは全く現行の憲法からの変更は行われていない。
自民党の憲法改定案ですら、このように憲法の平和の思想を変えないままにしていることは、日本国民が平和を真に求めるひとびとであることの証左ではないだろうか。
(ただし、第2項の改定案については、精査を行う必要があるように私には思える。)
日本が憲法のなかで国際紛争を解決する手段としての武力を放棄したのだとすれば、武力衝突を回避するための、オルタナティヴな手段を開発する世界社会への義務があるのではないだろうか。
今日までの平和維持は、抑止力としての軍事力、外交努力、途上国自立のためのODA援助、あるいは「ソフト・パワー」と呼ばれるものなどによってなされているのだろうが、しかしこれらに加えて、これらとは次元の違う平和のための概念を、日本が打ち出せないものかと常日頃考えてしまう。
ここで広島の話題に戻れば、177号でも触れたが、広島市民の原爆への対応は、新しい平和について考える良い事例であろう。
広島市民は、加害者である米国に対し、謝罪や賠償を要求する運動ではなく、原爆の恐ろしさを世界に認識させるための「ノーモア広島、ノーモア長崎」を打ち出した。
このことは、紛争解決に対し、当事者たちが勝者・敗者あるいは加害者・被害者という発想ではなく、これを超えたレベルでものごとを発想する、ということの重要性を我々に示唆してはいないだろうか。
あるいは非西洋の視点から平和について考えることも必要である。
未開というと差し障りがあるかもしれないが、たとえばアフリカ大陸や南アメリカの奥地に存在する部族間の紛争解決に我々が学ぶこともあるのかもしれない。
なぜなら、彼らは紛争や対立の手段として相手を完全に殲滅することはしないだろうからである。
なんにせよ、これまでの方法論とは全く異なる、平和維持のためのメソドロジーを、我々は考えなくてはならないように思われるのだ。
2016年5月18日水曜日
182:現役米大統領の広島訪問 その1
タイトルの話題について。
4月30日の177号で簡単に触れたことではあるが、もう一度よく考えてみると、これは前代未聞と言っても過言ではない歴史的な出来事となるだろう。
伊勢志摩でのG7サミット終了後、オバマ大統領が安倍総理とともに慰霊碑を訪れ、太平洋戦争で亡くなられた両国の犠牲者に哀悼の念を表する予定である。
大いに結構な、素晴らしいことだと私は思う。
G7で出される共同声明以上に、オバマ大統領の広島訪問が重要なものだと世界は受け止めるだろう。
なぜなら、G7は毎年行われるものであるが、オバマ氏の広島訪問はこれが最初で最後であるからだ。
私が間違っているかもしれないが、海外のメディアもこの訪問をG7の成果以上に重要視し、報道するのではないか、と考えている。
レームダック化した大統領とはいえ、任期中に自国の戦争犯罪ともいうべき行為にケジメをつけるというオバマ氏の発想について、我々日本人はもっと深い思考をしてもよいのではないかと思う。
この判断は、おそらくオバマ大統領自身の信念の、熟考の末の表れだとみて良いだろう。
その背景には、就任直後2009年、プラハでの核兵器の廃絶を訴える演説の理念を、行動に移さなければならない、という意志があるのではないか。
日本において、安倍総理の祖父である岸信介は、若者をはじめとする大変な国民の反対を押し切ってまで、自身の政治信念に基づき、安保条約に調印した。
安倍総理が今回の安保法制の成立に自身の政治信念をかけていたのかはわからない。
政治を行う議員に確固たる政治信念・理念を求めることは、現在の日本では非現実的な夢物語なのだろうか。
現首相にも、直面の選挙で議員数を増やすか増やさないかという関心を超えて、祖父の信条をかけた国の将来を左右するような業績を残してもらいたいと思う。
4月30日の177号で簡単に触れたことではあるが、もう一度よく考えてみると、これは前代未聞と言っても過言ではない歴史的な出来事となるだろう。
伊勢志摩でのG7サミット終了後、オバマ大統領が安倍総理とともに慰霊碑を訪れ、太平洋戦争で亡くなられた両国の犠牲者に哀悼の念を表する予定である。
大いに結構な、素晴らしいことだと私は思う。
G7で出される共同声明以上に、オバマ大統領の広島訪問が重要なものだと世界は受け止めるだろう。
なぜなら、G7は毎年行われるものであるが、オバマ氏の広島訪問はこれが最初で最後であるからだ。
私が間違っているかもしれないが、海外のメディアもこの訪問をG7の成果以上に重要視し、報道するのではないか、と考えている。
レームダック化した大統領とはいえ、任期中に自国の戦争犯罪ともいうべき行為にケジメをつけるというオバマ氏の発想について、我々日本人はもっと深い思考をしてもよいのではないかと思う。
この判断は、おそらくオバマ大統領自身の信念の、熟考の末の表れだとみて良いだろう。
その背景には、就任直後2009年、プラハでの核兵器の廃絶を訴える演説の理念を、行動に移さなければならない、という意志があるのではないか。
日本において、安倍総理の祖父である岸信介は、若者をはじめとする大変な国民の反対を押し切ってまで、自身の政治信念に基づき、安保条約に調印した。
安倍総理が今回の安保法制の成立に自身の政治信念をかけていたのかはわからない。
政治を行う議員に確固たる政治信念・理念を求めることは、現在の日本では非現実的な夢物語なのだろうか。
現首相にも、直面の選挙で議員数を増やすか増やさないかという関心を超えて、祖父の信条をかけた国の将来を左右するような業績を残してもらいたいと思う。
2016年5月14日土曜日
181:問題解決と意思決定、問題と課題
問題解決という言葉ほど垢にまみれて長期間使われてきた熟語はないだろう。
先月91歳で亡くなった、私の恩師であり友人のC.H.Kepner博士は、問題を次のように定義した。
「問題とは、あるべき姿に対する逸脱が発生し、そこにギャップが生じている状態」
この定義が比較的広く現在でもつかわれている。
これを踏まえて、問題解決と意思決定という、簡単に使われ、混同されもするふたつの言葉の関連について考えたい。
要は、どちらを上位概念として位置付けるかである。
意思決定がなされているという「あるべき姿」に対して、なされていないという逸脱が発生しているのであれば、この状況を「問題」として差支えない(問題解決が上位概念)。
あるべき姿からの逸脱という状況を改善するために最適な選択肢を決定するということもまた考えられるだろう(意思決定が上位概念)。
どちらを上位概念にもっていくかは当事者が判断することであり、一概には言えないけれども、このような整理をすることにより、分析の効率が改善されると思う。
言葉の定義や、その関連について、きちんと確認をしながら物事を考えたいものである。
また、問題解決ということについてもう少し考えたい。
問題解決をするとき、多くの場合、問題を処理しやすい諸要因に分けて、それらを課題として扱うという智慧が必要である。
「問題」という語の他に、「課題」という語が登場してしまい、ややこしくなってきてしまったかもしれないが、「課題」をここで簡単に定義すれば、「次にとる行動」のことである。
次にとる行動とは例えば、原因を究明する、選択肢を選ぶ、リスクへの対応を講じる、調査を行う、実態を把握する、優先順位を付けるなどである。
よって、次にとる行動が示唆され、理解されているときにしか「課題」という表現はふさわしくない。
従って、平たく言ってしまえば、問題解決というものは、問題が分割され、結果生じた諸課題が処理されることで達成される、と考えるのがよいだろう。
ちなみに、問題解決の手法を経験的に分類すると、下記のようになる。
・経験や知識から状況を把握して、解決策を引き出す
・直観によって解決策を導く(過去に同一の現象があれば、それが参考になる場合もある。しかし、同じような現象でも原因が違う場合もあるので注意)
・ある種の天才的なひらめきによって解決策を得る
・論理的な分析によって問題を解決する
もちろん4つ目の論理的な分析が、私がここで強調したいものだ。
とはいえ、私の経験では、直面する問題の8割程度は第一と第二のアプローチで処理できてしまう。
しかしこれでは上手くいかないことも存在するのである。
よく考え、根拠を明確にして、論理的に結論を出す、ということが、このときなくてはならないものなのである。
先月91歳で亡くなった、私の恩師であり友人のC.H.Kepner博士は、問題を次のように定義した。
「問題とは、あるべき姿に対する逸脱が発生し、そこにギャップが生じている状態」
この定義が比較的広く現在でもつかわれている。
これを踏まえて、問題解決と意思決定という、簡単に使われ、混同されもするふたつの言葉の関連について考えたい。
要は、どちらを上位概念として位置付けるかである。
意思決定がなされているという「あるべき姿」に対して、なされていないという逸脱が発生しているのであれば、この状況を「問題」として差支えない(問題解決が上位概念)。
あるべき姿からの逸脱という状況を改善するために最適な選択肢を決定するということもまた考えられるだろう(意思決定が上位概念)。
どちらを上位概念にもっていくかは当事者が判断することであり、一概には言えないけれども、このような整理をすることにより、分析の効率が改善されると思う。
言葉の定義や、その関連について、きちんと確認をしながら物事を考えたいものである。
また、問題解決ということについてもう少し考えたい。
問題解決をするとき、多くの場合、問題を処理しやすい諸要因に分けて、それらを課題として扱うという智慧が必要である。
「問題」という語の他に、「課題」という語が登場してしまい、ややこしくなってきてしまったかもしれないが、「課題」をここで簡単に定義すれば、「次にとる行動」のことである。
次にとる行動とは例えば、原因を究明する、選択肢を選ぶ、リスクへの対応を講じる、調査を行う、実態を把握する、優先順位を付けるなどである。
よって、次にとる行動が示唆され、理解されているときにしか「課題」という表現はふさわしくない。
従って、平たく言ってしまえば、問題解決というものは、問題が分割され、結果生じた諸課題が処理されることで達成される、と考えるのがよいだろう。
ちなみに、問題解決の手法を経験的に分類すると、下記のようになる。
・経験や知識から状況を把握して、解決策を引き出す
・直観によって解決策を導く(過去に同一の現象があれば、それが参考になる場合もある。しかし、同じような現象でも原因が違う場合もあるので注意)
・ある種の天才的なひらめきによって解決策を得る
・論理的な分析によって問題を解決する
もちろん4つ目の論理的な分析が、私がここで強調したいものだ。
とはいえ、私の経験では、直面する問題の8割程度は第一と第二のアプローチで処理できてしまう。
しかしこれでは上手くいかないことも存在するのである。
よく考え、根拠を明確にして、論理的に結論を出す、ということが、このときなくてはならないものなのである。
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