2014年5月15日木曜日

30:「理解を求める」とは何?

例えば日米間で対立が起きて、その調整をするため、日本の政治家が外国の要人と重要案件で会談したときによく「理解を求めた」という言葉を使った報道が見られます。
本来ならば、表現として「主張を述べた」とか「案を提出した」「要求を出した」などが代わりのものとしてありうるはずなのに、すべて「理解を求めた」で済まされているようなのです。


日本人同士であれば、問題を解決するのに、一方の当事者が状況を説明して相手の「理解を求める」ということは自然なことでしょう。
しかし、よく考えてみると、「理解を求める」というのは、立場的に下の者が上の者に対してすることではないでしょうか?
実際、この表現を在日大使館が本国に送ると、「日本は''seak understanding''している」となり、相手国を有利にする結果になっているようなのです。
このように、ひとつの表現で日本の国益が損なわれるかもしれないのです。
しかしながら日本はこのような表現を使ってしまっているのです。
これは問題ではないでしょうか?
私はマスメディアに国際関係に関する記事の扱いに対して敏感になってほしいと思います。


日本でごく当たり前に使われている表現が、国際社会では大きくズレた認識を与えてしまう、という現実を知っておきたいものですね。

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