2014年5月15日木曜日

29:「米国と対等になる」こととは?

最近の論調に、「日本はいつまで米国に追従するのか」ということがあります。
「だから、米国から押し付けられた憲法を改定する必要がある」などという主張にもつながっていくようです。
また、「日本は米国の弟分である」という実に卑下した表現も使われることがあるようです。






「米国と対等になる」とは、いったいどういうことなのでしょうか?








「対等」ということを人間関係から考えてみましょう。
人と人は、その能力の違いがあるということで対等になれないのでしょうか?
それは違います。




私は「負い目」にポイントがあると思います。
借りを返していない・礼を尽くしていない・問題をあいまいなまま放置する・けじめをつけない・ルールを共有しない……など、相手に負い目を持つ状態である以上は、相手と対等になれないように思います。
反対に、きちんと相手に礼を見せていれば、たとえ能力に差があろうと対等な関係になれるのです。








国に話を戻しましょう。
経済力・軍事力・政治力が「対等」の判断基準になると思うなら、それは大間違いなのです。
現に、イギリスとアメリカは対等です。


軍事力に置いては両者は格段の差がありますが、世界は米英は対等な関係にある、と見ています。
しかし日本だけは、追従的な立場をとっていると自分で思っているのです。




日米関係においても、ここで指摘したようなことがらについて適切な処理をしていけば、対等な関係が確立されると思うのですが。
そしてその上に、友情と信頼関係が築かれるのではないでしょうか?

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