2014年5月13日火曜日

25:信用社会から契約社会に移行しない日本人

世界の趨勢として「自由化」が大いに叫ばれた時代があり、日本社会においても小泉総理の時代を中心に自由化の促進が目指された時代がありました。
実は「規制緩和」とは、英語の正確な訳には当たりません。元の英語はde-regulationであり、要は「規制撤廃」なのです。
しかし日本では、オブラートに包んだ「規制緩和」という言い方がされたのです。


「規制緩和」がされると、日本が「契約社会」に移行し、契約概念がシビアになり、結果、日本にもっと弁護士が必要になるという予測のもと、法科大学院があちこちに設置されました。
法科大学院を置いてはみたものの、一部の大学を除いて応募者は少ない、ということも聞きます。さらに、弁護士になったはいいものの、十分な仕事がないという実態もあるようです。


それは自明のことだと私は思います。なぜなら、日本人と日本社会が信用主体の状態から簡単に契約がすべてと考える状態に変わるとは思っていないからです。
今日でも、日常的に交わされる覚書や契約書に「捨印」を押すという慣習が残っています。我々は現在でも、抵抗なく捨印を押しているのが現状で、これはまさに日本における信用社会の側面が根強いことを示しているでしょう。


私の憶測に過ぎませんが、世界全体が西洋式の契約社会ではありえないと思うのです。
人の人格や信用に重きを置く、ということも社会においてなくてはならないものであるでしょう。
その意味から、日本発で信用社会の有効性を発信することも日本人としての世界社会に対する貢献だと思うのです。

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