2014年12月26日金曜日

72:グローバルビジネスの波

先月、あるパーティーでビー・エム・ダブリュー株式会社の社長と雑談する機会がありました。
日本に赴任してまだ数か月の彼は、殊ビジネスのことになると、社内でのコミュニケーションに戸惑ってしまう、とこぼしていました。
代表的な例は、ある重要会議で「プランBは何か?」と質問したときに全くの沈黙になった……ということがあったようです。
また、具体的な質問に対して、具体的な・適切な答えが返ってこないということも言っていました。


その結果フラストレーションを感じる場面が多いことが悩みの種となっているようでした。


第一の問題に対しては、日本語が単数と複数の区別をしないため、「プランB」というオルタナティブがその思考様式に現れていないことを説明しました。
(「次善の策」という言葉はあるものの、伝統的にこれは「最善の策」ほど緻密に練られたものではないように思います。)


第二の問題に対しては、日本は、基本的に「非質問社会」であるためだ、と答えました。
「根回し」という考え方は世界中どこにでもありますが、日本においては、この「根回し」の過程で「案件は完璧なものとして練り上げられるのだ」という共通見解が出来上がってしまい、結果それに対する質問が発生しない……というやや特殊な事情があるように思います。


と同時に質問の目的について日本では混乱がある、ということも説明しました。
多くの場合、日本でなされる問いは、「責任を問う」場合が多いのではないでしょうか。
実際には、これの他に「情報を収集する」「根拠を明確にする」「リスクを明らかにする」などの機能があるのですが、日本ではこれらが混同されているようなのです。


(試しに「問」という漢字が付く単語を並べてみました。「質問」「設問」「疑問」「尋問」「詰問」「拷問」……このように「問う」ということばには、単に「情報を求める」意味と「相手の責任を追及する」意味が混在しているようです。)


つまり、彼が質問した際、部下たちは「何かの責任を問われる」という思いが先に来る場合が多いので、黙ってしまう、あるいは具体的に答えない……ということがあったのではないでしょうか。


社長夫妻は大変な親日家で、もっと日本のことを知りたいという意欲から、私の話を気に入ってくださり、先日食事をご馳走してきました。


日本人の思考様式についての議論になり、彼がメモを取るほどに熱心なものとなりました。


彼は40代後半、ドイツ生まれ・ドイツ育ち、ドイツで教育を受け独仏英の3か国語に通じており、BMW入社後、ロシア・インドを経て日本の責任者となったそうです。


私はある質問をしました。
「日本BMW社幹部の国籍はどのようなものなのか?」


彼によれば、ドイツ・アメリカはもとより、なんとタイの女性がいるとのことでした。
彼女は最高財務責任者CFOであるとのことです。


着任当時、色々な差別で大変苦労したものの、現在は信頼される責任者として業務に就いているそうです。


余談になってしまいますが、日本社会における女性の進出も、このような優秀な外国籍女性を登用することで風穴があきはしないでしょうか。


「グローバルビジネス」というと海外でのオペレーションと考えがちですが、日本社会の内側でも既にグローバル化が進んでいるのだ、ということを我々はより認識しなければならないでしょう。

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