2016年10月1日土曜日

215:ジャーナリズムとは何か

今年の4月19日に、国際人権法の専門家として「表現の自由」を担当する国連特別報告者である、デービッド・ケイ米カリフォルニア大教授の記者会見があった。
この内容は、4月30日、5月1日、5月2日の神奈川新聞で読むことができる。


約1週間の滞在後、同氏は、「日本の報道の独立性は、特定秘密保護法の実施もあり、重大な脅威に直面している」という見解を述べた。
各省庁やマスメディア機関を取材した結果、「政府を批判する記事を書いたところ、掲載が見送られた」「書いた記者は降職させられた」などの驚くべき記者からの発言があったそうだ。
国民が持つ「知る権利」の大きな根拠のひとつは、国民が政治を委託する人間を選ぶ権利にかかわっている。
なぜなら、この選ぶという行為のためには、自分の選ぶ人間が一体どのような人間なのかという情報を知る必要があるからである。
つまり、この「知る権利」が脅かされるということは、民主主義の根幹にもかかわるような大きな問題と言える。
国政を託す代務者を選ぶ場合、候補に関する詳細な情報がなければ、国民は適切な人物を国政に送ることはできない。


現内閣の延命が図られることによって報道の独立性に危機が生じているのだとすれば、マスメディアには本来のジャーナリズムに目覚めてもらいたいものだ。
ケイ氏が「当たり前ですが、ジャーナリストの役割は権力の監視です。政府の発表をそのまま新聞に掲載したり、テレビで流したりすることではありません」といっているのは、この意味で全く正しい。
ジャーナリズムに権力を監視するという役割があるということは「当たり前」なのである。
しかし日本ではその「当たり前」が成立しなくなってきている。
これは大きな問題だと思うのだが、いかがだろうか。




蛇足になるが、それにしても、テレビの報道で見る限り、現場の取材記者の年齢が20代であるという現象は、日本特有のものではないだろうか。
米国をはじめ、諸外国の記者、すなわちジャーナリストは、見識も経験も豊かであり、本質に触れる質問をすることができると思うのである。
ジャーナリズムとは何か、ジャーナリストとは何か、といったことをいままさに再認識しなければならないのではないだろうか。



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