2016年10月26日水曜日

222:第二次世界大戦からの学習

過去の歴史について考える際、○年代、という風に10年単位で時期を区切る方法はよくあることだが、しかし昭和ひと桁をひとくくりで考えることに関しては、私は若干無理があるように思う。
それは、戦争で実戦の経験があるかないか、という大きな違いがこの10年で起きているからである。


このような考え方で分けるならば、昭和ひと桁に関して、昭和4、5年でひとつの線が引けるだろう。
私もちょうどその世代に属するのだが、そのような大きな変化の中に生まれた人間として、この国の将来を憂いているひとりであり、またこの世代から語り継がれるメッセージがかなりあるのではないかと自負している。


それは、単に戦争の悲惨さとか米国による占領時代の愚痴のようなものを語り継ぐということだけではなく、何か将来に対して建設的なものを残さなければならない、ということだ。


もちろん、日本が成るにまかせ、もう自然体でいいじゃないか、といった声もあるだろう。
しかしその一方で、このような焦りを持っている人間はかなりいるのではないかと思うが、どうだろう。


明治維新で近代工業国家を建設し、敗戦と戦争への反省から奇跡的な戦後復興を遂げた民族が、これからも何らかのかたちで世界社会のプレイヤーとして存続することに意義はあるのではないだろうか。


そこで、世界が新しい秩序を模索している状況で日本としてのあるべき姿を考える際、参考になるものとして、たとえば地球社会でその存在感を持続させているユダヤ系の人々が挙げられる。


以前にも触れたかもしれないが、一神教の神がユダヤ民族に与えた5つの要素が参考になるのではないか。
第一が‟Spirit of God”(宗教的な内容)
第二が‟Knowledge”(知識)
第三が‟Intelligence”(知力)
第四が‟Ability”(能力)
第五が‟Craftmanship”(技能)


これら五つすべてに触れると話が長くなってしまうが、たとえば日本の将来を考えると、‟Spirit of God”に当たる、理念とか哲学とか信念といった人間や人間社会の行動の軸になるようなものをどうするか、ということは非常に重要だ


また、‟Intelligence”の定義は、新しい状況に対して迅速に、適切に行動する能力(‟the ability to respond quickly and successfully to a new situation”)であり、つまり、この本質は、環境変化に対する迅速な意思決定とリスク対応能力といってもいい。


これから意識しなければいけないのは、上にあるような哲学や信念についての問題と、迅速な環境変化への適応能力の問題のふたつの点に絞り込まれるだろう。


前者は最近、「道徳教育」ということで話題にあがったものの、有効な方針は見いだせないままである。
‟Intelligence”に関しては、ゆとり教育から成果が出ていなかったことに関係する。
一般的に、ゆとり教育の目的は、自分で考え、自分で結論を出し、自分で行動を起こすということであったと言われている。
これ自体は良い目的だったように思うが、結果として上手くいかなかったようである。


このふたつの未解決のテーマについて、改めて課題として取り上げ、官民挙げて対応することを強く主張したい。

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